「海外に会社を作れば、その国に住んで社長として働ける」。海外起業では、ここに思わぬ落とし穴があります。法人を作る手続と、外国人が滞在・就労する資格の審査は別です。設立が終わっても、自分が現地で働けるとは限りません。
逆に、海外へ移住する人が全員、自分の法人を持つ必要があるわけでもありません。現地企業への就職や家族としての滞在など、選べる資格は国と本人の条件で異なります。まず「何をするために移るか」を決め、その活動を認める資格を調べる順番が大切です。
シンガポールでは、設立窓口と就労資格の担当が違う
具体例としてシンガポールを見ます。法人・事業の登録を扱うACRAの外国人向けの登録要件では、外国人が事業を登録する際の事業者への依頼や、現地居住者に関する要件を説明しています。そのうえで、現地へ移って事業を経営する場合には就労資格が必要だと明記しています。
会社の登録を支援する事業者に「設立できます」といわれても、それは本人の就労資格が承認されるという意味にはなりません。会社の住所、役員、株主を整える作業と、本人の経歴・事業内容に基づく申請を、それぞれ確認する必要があります。
手続を依頼するときは、依頼する仕事の範囲も分けます。法人登録の完了までなのか、本人の就労資格の申請も含むのか、取得後の更新まで相談できるのか。同じ「海外起業支援」という名前でも、どこまで確認されるかを具体的にしておけば、会社だけできて本人の予定が立たないという行き違いを減らせます。
起業家向けの資格にも、対象事業と条件がある
シンガポール人材開発省MOMのEntrePassの申請要件は、ベンチャー投資を受ける事業や革新的な技術を持つ事業を運営する起業家などを対象としています。現地の非公開株式会社を設立済み、または設立予定であることに加え、本人がその会社の30%以上を保有することなどを求めています。
さらに、一定の投資家からの資金調達、認められた育成機関の支援、知的財産、研究機関との共同研究など、所定の条件のいずれかを満たす必要があります。「会社を登記した」「事業計画書を書いた」というだけで、全ての事業者が利用できる資格ではありません。
例えば、ソフトウェアの会社を作る場合でも、単に業種名がITだから十分とは限りません。どの技術が強みで、どの要件を満たし、何を証拠として示せるのかまで確かめます。申請資格を満たすことと、審査で許可されることも区別しておきたいところです。
事業計画書には、売上予測だけでなく、現在持っている技術、投資家や育成機関との関係、今後現地で行う活動を対応づけます。これから契約を結びたい相手と、既に契約がある相手は分けて書きます。希望を並べた計画と、現時点で示せる資料を区別することが、資格の条件を確認する第一歩です。
共同創業者が2人いる場合にも、「会社として要件を満たすか」と「2人がそれぞれ何の資格で働くか」を別々に確認します。一方は現地で営業し、もう一方は日本から開発するなら、移住時期も必要な検討も同じとは限りません。全員を同じ予定に合わせる前に、各人の役割と活動場所を決めます。役割が変わったときは、資格の確認もやり直します。
資金調達で持分が下がるとき、更新まで見ているか
起業家にとって盲点になりやすいのは、最初の取得後です。MOMのEntrePassの更新要件にも、本人の30%以上の持分や事業活動・進捗の確認があり、更新の段階に応じて事業支出や現地雇用の基準も設定されています。
仮に創業者の持分が40%で、次の調達により28%へ下がる計画なら、資金調達と同時に、現在の資格を更新できるかを確認する必要があります。会社の成長に必要な投資でも、本人が働き続ける条件と合うかは別だからです。この数値例は、希薄化に伴う確認事項を示したもので、個別の審査結果を予測するものではありません。
この変化は、新しい投資家が増資後の株式の30%を取得するという単純な例で起きます。既存株主全体の比率が70%になるため、創業者の40%は40%×70%=28%になります。調達前の持分に余裕があるように見えても、調達後の一覧で確かめる必要があるわけです。
M&Aで株式を売り、買い手の下で経営を続ける場合にも、保有割合や職務が変わります。売却代金や残留期間だけで合意せず、売却後の仕事に対応する資格と、切替えが必要な場合の手続を契約前から検討します。
家族の予定と事業の予定を、一枚に並べる
準備段階では、会社設立日、就労開始日、資金調達、資格の更新、将来の売却を同じ予定表に置くと、前後関係が見えます。家族の滞在資格も別に確認し、住まいや学校を決める時期と合わせます。事業許認可が必要な業種なら、その確認も加えます。
例えば、顧客との契約に「現地でサービスを開始する日」を入れる前に、その日から自分が担当業務を行える見通しを確かめます。資格の取得を前提にした採用や事務所契約についても、予定がずれた場合の費用と対応を考えておくと、事業を止めずに準備を進めやすくなります。
更新については、期限の直前に書類を集めるだけでなく、事業支出、現地での雇用、顧客との取引を日頃から記録します。MOMが確認する事業の活動・進捗を、会社の通常の経営管理でも追えるようにしておけば、事業計画と資格の計画が離れにくくなります。
また、在留資格と税務上の居住地は別の制度です。働ける資格を取得したから、日本の税務上もその日から非居住者になる、とは限りません。法人設立、滞在、就労、税務を一つの手続だと捉えると、途中の条件を見落とします。
海外起業を具体化するときは、「会社を作れるか」に続けて、自分が何の資格で働き、その資格を事業成長後も維持できるかまで確かめてください。最初の登記が安い国より、事業計画と本人の暮らしを継続して両立できる場所を選ぶための確認です。
本稿は2026年9月9日時点の法令に基づく一般的な解説です。実行の前に必ず個別にご相談ください。
記載には注意を払っていますが、誤りにお気づきの際はお問い合わせよりご一報いただけると幸いです。

