ミニマムタックスとは、その年の所得が極めて高い個人について、通常の所得税とは別に所得税を追加で課す制度です。正式には租税特別措置法第四十一条の十九「特定の基準所得金額の課税の特例」といい、条文に「ミニマムタックス」という語はありません。令和5年度税制改正で創設され、令和7年分以後の所得税について適用されます。
株式の譲渡益は、上場・未上場を問わず、金額がどれだけ大きくても税率が一定です(申告分離課税15%)。そのため、所得に占める分離課税所得の割合が高い層ほど、所得税の平均負担率が下がります。この制度は、その層の負担率に下限(ミニマム)を設けるものです。
会社を売った年に、この制度は正面から効きます。未上場株式の譲渡(M&Aによるオーナーの株式売却)も、上場株式と同じく基準所得金額に入るためです。本稿の試算は未上場株式のM&Aを想定しています。
そして令和9年分から、この制度は大きく変わります。閾値が半分になり、乗率が上がります。本稿の主題はそこです。
計算式
条文(第1項)はこう定めています(令和8年分まで適用される規定です)。
個人でその者のその年分の基準所得金額が三億三千万円を超えるもの(第四項において「特例対象者」という。)については、当該超える部分の金額の百分の二十二・五に相当する金額からその年分の基準所得税額を控除した金額に相当する所得税を課する。
(基準所得金額 − 3億3,000万円)× 22.5% − 基準所得税額 = 追加で課される所得税
結果がプラスならその金額が上乗せされます。マイナスなら追加課税はありません。控除額も乗率も条文に直接書かれており、政令に委任されていません。
基準所得金額(第2項)
申告不要制度の適用がないものとして計算した、その年の所得の合計額です。第2項は9つの号を挙げています。
第1号 総所得金額・退職所得金額・山林所得金額/第2号 上場株式等に係る配当所得等/第3号 土地の譲渡等に係る事業所得等/第4号 長期譲渡所得/第5号 短期譲渡所得/第6号 一般株式等に係る譲渡所得等/第7号 上場株式等に係る譲渡所得等/第8号 恒久的施設を有しない非居住者の株式等の譲渡に係る国内源泉所得/第9号 先物取引に係る雑所得等。
要点は3つです。
- 申告不要にした所得も数えます。源泉徴収だけで完結させた配当も、源泉徴収選択口座の譲渡益も、この判定では所得に入ります
- 所得控除を引く前の金額です。基礎控除も社会保険料控除も、ここでは引きません
- 損益通算・繰越控除は反映された後の金額です。各号が引いているのは、通算後の「所得金額」だからです
未上場株式の譲渡益は第6号(一般株式等に係る譲渡所得等の金額)、上場株式は第7号に入ります。税率はどちらも15%です(措法37条の10第1項、37条の11第1項)。
基準所得税額(第3項)
この特例がないものとして計算した、その年の所得税額です。配当控除(所得税法93条)と外国税額控除(同95条)を適用する前の金額で、附帯税は含みません。そしてここに付加税が加算されます。
- 令和8年分まで … 所得税 + 復興特別所得税(復興財確法33条1項の読替表)
- 令和9年分から … 所得税 + 防衛特別所得税 + 復興特別所得税(防衛財確法5条の31第1項の読替表。復興側の読替に代わって適用される)
この制度の骨格 ── 総負担に下限を掛けている
計算式を並べ替えると、制度の設計が見えます。
追加額 = (基準所得金額 − 閾値) × 乗率 − 基準所得税額 なので、追加額が生じる人の総負担は次の額になります(配当控除・外国税額控除の適用がない場合)。
所得税 + 付加税 + 追加額 = (基準所得金額 − 閾値) × 乗率
つまりこの制度は、追加の税を「積む」のではなく、付加税まで含めた総負担額を、この一本の線に固定する仕組みです。だから復興特別所得税の税率が2.1%から1.1%に下がり、防衛特別所得税1%が新設されても、対象者の総負担は1円も変わりません。動くのは閾値と乗率だけです。
(配当控除と外国税額控除は基準所得税額の計算から除かれているため〔第3項第1号〕、これらの適用がある人の総負担は線を下回ります。後述の実務上の注意②を参照してください。)
この構造は、41条の19第1項による所得税額そのものが復興・防衛の課税標準に含まれるかどうかにも左右されません(条文上、明文の除外規定は見当たりませんでした)。含まれるなら追加額が減って付加税が増えるだけで、合計は同じ線に乗ります。本稿の試算は含まれないものとして内訳を出しています。
令和7年・令和8年・令和9年の3年比較
| 令和7年分 | 令和8年分 | 令和9年分 | |
|---|---|---|---|
| 閾値 | 3億3,000万円 | 3億3,000万円 | 1億6,500万円 |
| 乗率 | 22.5% | 22.5% | 30% |
| NISA口座の譲渡益 | 基準所得金額に含まない | 含まない | 含む |
| 基準所得税額に含まれる付加税 | 復興 | 復興 | 防衛+復興 |
| 復興特別所得税の税率 | 2.1% | 2.1% | 1.1% |
| 防衛特別所得税 | ─ | ─ | 1%(新設) |
令和8年分は令和7年分とまったく同じです。41条の19の本文は、令和7年1月1日施行版と現行版で3,353字が一字一句一致することを確認しました。
令和9年分の改正は令和八年法律第十二号によるもので、附則第四十七条が「新租税特別措置法第四十一条の十九第一項の規定は、令和九年分以後の所得税について適用し、令和八年分以前の所得税については、なお従前の例による」と定めています。
効き始めるライン ── ここが本題
閾値を超えること自体は、追加課税が生じる条件ではありません。追加額は「線 − 基準所得税額」の差なので、通常の税額が線を上回っていれば追加はゼロです。
所得が株式の譲渡益だけの場合(上場・未上場とも税率15%で同じです)、追加課税が生じ始める基準所得金額は次のとおりです。
| 効き始める基準所得金額 | |
|---|---|
| 令和7年分・令和8年分 | 約10億3,340万円 |
| 令和9年分 | 約3億3,708万円 |
効き始めが10億円台から3億円台に降りてきます。これが令和9年改正の実質です。「閾値が3.3億円から1.65億円に下がる」という説明だけを見て1.65億円が分岐点だと考えると、判断を誤ります。
(他の所得の構成により、この金額は変わります。総合課税の所得の割合が高いほど、追加課税は生じにくくなります。)
試算
以下は当事務所による試算です。前提は次のとおりです。
- 居住者(非永住者以外)。未上場株式(一般株式等)の譲渡益と役員報酬5,000万円のみ。オーナーが自社株を第三者に売却したM&Aを想定しています
- 給与所得控除195万円(所得税法28条。収入850万円超は3年とも195万円。令和7年分は同条3項第五号、令和8年分以後は第四号)
- 所得控除はゼロ。合計所得金額が2,500万円を超えるため基礎控除の適用がありません(同法86条1項)。したがって令和8年分の基礎控除引上げ(58万円→62万円)はこのケースに影響しません。社会保険料控除等も捨象しています
- 譲渡益は取得費・譲渡費用を控除した後の金額です。取得費が備忘価額に近い設定株では、譲渡対価がほぼそのまま譲渡益になります
- 役員退職金、みなし配当、株式以外の対価は無いものとしています(いずれも基準所得金額を動かします。後述)
- 住民税、端数処理(確定金額の100円未満切捨て)は考慮していません
ケースB:株式譲渡益5億円 ── 令和9年から新たに対象になる層
| 令和7年分・令和8年分 | 令和9年分 | |
|---|---|---|
| 基準所得金額 | 548,050,000円 | 548,050,000円 |
| 所得税額 | 91,826,500円 | 91,826,500円 |
| 基準所得税額(付加税込み) | 93,754,856円 | 93,754,856円 |
| (基準所得金額−閾値)×乗率 | 49,061,250円 | 114,915,000円 |
| 41条の19による追加所得税 | なし | 21,160,144円 |
| 総負担 | 93,754,856円 | 114,915,000円 |
| 負担率 | 17.11% | 20.97% |
令和8年分まではこの制度と無関係だった人が、令和9年分から約2,116万円を追加で負担します。
ケースA:株式譲渡益20億円 ── もともと対象だった層
| 令和7年分・令和8年分 | 令和9年分 | |
|---|---|---|
| 基準所得金額 | 2,048,050,000円 | 2,048,050,000円 |
| 所得税額 | 316,826,500円 | 316,826,500円 |
| 基準所得税額(付加税込み) | 323,479,856円 | 323,479,856円 |
| (基準所得金額−閾値)×乗率 | 386,561,250円 | 564,915,000円 |
| 41条の19による追加所得税 | 63,081,394円 | 241,435,144円 |
| 総負担 | 386,561,250円 | 564,915,000円 |
| 負担率 | 18.87% | 27.58% |
追加課税は約6,308万円から約2億4,143万円へ、約3.8倍。総負担では約1億7,835万円の増加です。
なお基準所得税額は3年とも同額(323,479,856円)です。復興税率の引下げと防衛税の新設が相殺するためで、この制度がなければ3年間の負担はまったく同じでした。負担増はすべて41条の19の改正によるものです。
実務上の注意
① 所得控除の節税効果が消えます。基準所得金額は所得控除を引く前の金額です。社会保険料控除やふるさと納税で通常の所得税額が下がっても、その分だけ追加額が増えて総負担は線の上に戻ります。この制度が効いている年は、所得控除が効きません。
② 逆に、配当控除と外国税額控除は追加額からも控除できます。第5項第1号の読替により、所得税法93条・95条の「その年分の所得税の額」に41条の19第1項による所得税額が加わります。外国税額控除の控除枠が追加額のぶん広がることを意味します。国外資産を持つ方には重要です。
③ 申告不要制度が使えなくなります(第4項)。この特例により所得税が課される人は、配当等の申告不要制度(措法8条の5)と源泉徴収選択口座の申告不要制度(措法37条の11の5)を適用できません。申告不要にしていた所得を、すべて申告書に載せ直す必要があります。
④ M&Aで役員退職金を併せて取ると、基準所得金額が膨らみます。第2項第1号は総所得金額だけでなく退職所得金額も基準所得金額に算入します。オーナーの手取りを最適化するために譲渡対価の一部を退職金に振り替える設計は、所得税の総額を下げても、基準所得金額は下がりません(退職所得金額=2分の1後の金額が加算されます)。この制度が効く年は、退職金への振替えによる節税効果が想定より小さくなります。非上場株式の自己株式取得に伴うみなし配当も、総合課税の配当所得として第1号に入ります。
⑤ 令和9年分から、NISAの譲渡益が非課税でなくなります。改正後の第4項は、追加課税が生じる人について措法37条の14第10項・第11項を適用しないと定めます。基準所得金額に算入されるだけでなく、その年の非課税口座内の譲渡益が課税されます。追加額が1円でも出るかどうかで結果が変わる、段差のある規定です。
なお第4項が適用除外に挙げているのは37条の14第10項・第11項(譲渡益の非課税)であり、配当の非課税(措法9条の8)は挙げられていません。NISAの非課税がすべて失われるわけではありません。
このNISA関係の改正(第2項第7号・第4項)について、附則第四十七条が名指ししているのは第1項だけです。令和9年分からとしているのは、附則第一条第五号ロが定める施行日(令和9年1月1日)によります。
⑥ 非居住者も対象になり得ます。第2項第8号と第3項第3号が非居住者を明示しています。海外移住で当然に外れる制度ではありません。
⑦ 申告は通常の確定申告書で行います。措置法施行令26条の28の3の2第5項が所得税法120条1項を読み替え、確定申告書の記載事項に基準所得金額が加わります。別個の申告書はありません。予定納税の減額承認申請(同法111条4項)にも基準所得金額の見積額が読み込まれます。
⑧ 年をまたぐかどうかで結果が変わります。閾値と乗率の変更は令和9年分から適用されます。ケースBでは、令和8年中の譲渡なら追加ゼロ、令和9年なら約2,116万円です。未上場株式の譲渡は、原則として株式の引渡しがあった日に譲渡があったものとされます(納税者の選択により契約効力発生日によることもできます)。クロージングを年末年始にまたいで設計する案件では、この違いが数千万円単位で効きます。もっとも譲渡の時期は税額だけで決まるものではありません。判断材料の一つです。
個別の判定には所得構成・控除・時期の確認が必要です。
根拠条文
- 租税特別措置法第四十一条の十九(特定の基準所得金額の課税の特例)第1項〜第5項
- 同法第三十七条の十第1項(一般株式等に係る譲渡所得等の課税の特例、15%)、同条第6項第1号(合計所得金額の読替)、同項第5号(所得控除の読替)、第三十七条の十一第1項(上場株式等、15%)
- 所得税法第二条第1項第30号(合計所得金額)、第二十八条第3項(給与所得控除)、第八十六条第1項(基礎控除)、第八十九条第1項(税率)、第九十三条・第九十五条
- 租税特別措置法施行令第二十六条の二十八の三の二第5項
- 東日本大震災からの復興のための施策を実施するために必要な財源の確保に関する特別措置法第十三条、第三十三条第1項
- 我が国の防衛力の抜本的な強化等のために必要な財源の確保に関する特別措置法第五条の五、第五条の六、第五条の八、第五条の九、第五条の三十一第1項
- 令和五年法律第三号 附則第三十六条/令和八年法律第十二号 附則第一条第五号ロ、第三条、第九条、第四十七条
本稿は2026年8月31日時点の法令に基づく一般的な解説です。実行の前に必ず個別にご相談ください。
記載には注意を払っていますが、誤りにお気づきの際はお問い合わせよりご一報いただけると幸いです。










