「この業種なら利益の5倍です」。会社の売却を考えると、こうした説明を耳にすることがあります。計算が簡単で、目安もつかみやすい。ところが、何を利益と呼び、何の価格を計算しているのかが曖昧なままでは、同じ5倍でも全く違う金額になります。
税引後利益なのか、営業利益なのか、減価償却費を戻した利益なのか。会社全体の事業の価値なのか、株主が売る株式の価値なのか。倍率を聞く前に、分子と分母をそろえることが、企業価値評価の出発点です。
EBITDAは、営業利益とも現金収入とも違う
M&Aで使われるEBITDAは、利息、税金、減価償却などの影響を除いて利益を見る指標です。借入れや設備の償却の違いをならし、事業の稼ぐ力を比較するために使います。
中小M&Aでは「営業利益+減価償却費」で簡便に算定する場合があります。中小M&Aガイドラインの価値評価に関する参考資料にも、この方法が示されています。ただし、EBITDAの厳密な定義と、実務上の簡便計算が常に一致するわけではありません。米国SECの説明も、当期純利益を出発点とするEBITDAと、独自に項目を調整した指標を区別しています。
そこで評価表には、決算書のどの利益から始め、どの費用や収益を足し引きしたかを残します。次は、営業利益を使う簡便計算から出発した仮例です。
| 計算の段階 | 金額 | 確認する理由 |
|---|---|---|
| 決算書の営業利益 | 3,000万円 | 比較の出発点 |
| 減価償却費を加える | +1,000万円 | 簡便計算のEBITDAは4,000万円 |
| 今期だけの費用を戻す | +600万円 | 翌期以降に本当に発生しないか確認 |
| 社長交代に伴う人件費の純増額を引く | −1,000万円 | 旧社長の報酬の減少分を差し引いた後の、追加負担と仮定 |
| 調整後の評価用利益 | 3,600万円 | 調整の根拠を買い手と確認する |
この人件費1,000万円は、後任者への報酬総額ではなく、旧社長の報酬が減る効果まで織り込んだ純増額です。すでに決算に含まれる費用を、もう一度引かないようにします。
「今期だけの費用」という名目で、毎年何らかの形で発生する費用を次々に戻せば、利益を過大に見せてしまいます。反対に、社長が低い報酬で営業や管理を兼ねていた会社では、退任後の補充費用を考えなければ、利益の再現性を見誤ります。
もう1つ注意したいのは、EBITDAが、そのまま借入返済や配当に回せる現金ではないことです。機械の更新、売掛金や在庫の増加、税金の支払いには現金が要ります。償却費を戻しても、設備の更新費用が消えるわけではありません。
事業の価値から、株式の価値へ橋を架ける
EV/EBITDAは、企業価値であるEVをEBITDAで割った倍率です。ここでは、EVを事業の稼ぐ力に対応する価値として扱います。その価値は株主だけに帰属するわけではなく、会社に資金を貸している債権者との関係も考える必要があります。
基本の考え方は、事業の価値に余剰現金などを加え、有利子負債などを引いて、株式全体の価値へ移すことです。参考資料にも「株式価値=EBITDA×倍率−純有利子負債」という式が示されています。純有利子負債は、有利子負債から現預金を差し引いた金額です。
先ほどの評価用利益3,600万円を使い、仮に5倍で評価した場合を見てみます。5倍は説明のための仮定で、相場の提示ではありません。
| 価値の橋渡し | 金額 |
|---|---|
| 事業価値: 3,600万円×5倍 | 1億8,000万円 |
| 事業運営に必要な資金とは別の余剰現金 | +2,500万円 |
| 有利子負債 | −5,500万円 |
| 株式全体の価値の試算 | 1億5,000万円 |
この仮例では、その他の調整項目がないと置いています。実際には、必要運転資金の水準、現金をどこまで加えるか、借入れ以外に負債に近い項目を含めるかを、評価と契約の双方でそろえます。事業に必要な預金まで余剰資金として扱えば、買収直後に資金が不足することがあります。
同じ仮例で倍率だけを4倍にすれば株式価値は1億1,400万円、6倍なら1億8,600万円です。1倍の違いは3,600万円の違いになります。ただし、倍率の議論に入る前に、基になる3,600万円の利益が妥当かを確かめなければなりません。見栄えのよい倍率でも、必要な費用が抜けた利益に掛けていては、評価の土台がずれています。
ここで株式の取得額から「純資産」を丸ごと引いて、残りを営業利益で割る計算は、EV/EBITDAとは異なります。純資産には現金だけでなく、事業に使う設備や在庫なども反映されているためです。「買収価格」という記事の見出しだけで計算せず、対象が全株式か一部株式か、借入れを含む取引規模かまで確認します。
4.47億円の取得で、「調整後の利益」をどう読んだか
fonfunは2024年6月、クラウド電話システムを運営するselfreeの全持分取得を発表しました。持分の取得対価は4億4700万円、アドバイザリー費用等を含む合計は4億7900万円です。合同会社なので、買う対象は株式ではなく持分です。2024年6月19日の取得開示、pp.2–3
同資料では、2023年6月期の営業利益4100万円と、調整後EBITDAの参考値8900万円が別々に示されています。調整には、取得後に発生しないと見込む役員報酬や地代家賃などが含まれています。過去に計上した利益と、買い手が取得後を想定して組み直した利益には、これだけ違いがあり得ます。
ただし、「費用がなくなる」という見込みは確定した実績ではありません。退任する役員の仕事を誰が担うのか、移転や解約に費用がかからないかを確認する必要があります。また、持分代金を調整後EBITDAで割るだけでは、現金や借金を調整した事業価値の倍率にはなりません。
公開資料の数字は、相場を1本の倍率に決めるためよりも、どの利益を使い、何を足し戻したかを確認する手掛かりとして役立ちます。
倍率、DCF、純資産を使い分ける
評価方法には、それぞれ違う問いがあります。1つの計算結果を唯一の正解とせず、何に依存した金額かを見ることが大切です。
| 評価方法 | 主に見るもの | 結果が動く主な前提 |
|---|---|---|
| マルチプル法 | 類似企業・取引で付いている倍率 | 比較対象、利益の定義、成長性やリスクの違い |
| DCF法 | 将来生まれるキャッシュフローの現在価値 | 事業計画、設備投資、運転資金、割引率 |
| 時価純資産法 | 資産と負債を時価で見直した差額 | 資産の換金性、簿外の負担、評価時点 |
DCF法は、将来の現金収支を、時間やリスクを考慮して現在の金額に換算する方法です。成長計画を反映できますが、計画を楽観的にすれば評価額も上がります。純資産法は保有資産を確認するのに役立ちますが、人やブランドが生む将来の収益力を、それだけで捉えられるとは限りません。
同業だから同じ倍率という判断も粗すぎます。顧客が分散している会社と、売上げの大半を1社に依存する会社。設備更新が済んだ会社と、近く大きな更新投資が必要な会社。同じ利益でも、買い手が引き受けるリスクは違います。
評価書が示すのは、一定の前提を置いた価値です。最終的な価格は、買い手固有の事業計画、競争状況、支払条件や責任の配分を含む交渉で決まります。希望額を守るためにも、「何倍が相場か」だけを争うより、利益の再現性と、その利益を誰がどの仕組みで生むのかを説明する方が、交渉の中身は深くなります。
本稿は2026年9月9日時点の法令に基づく一般的な解説です。実行の前に必ず個別にご相談ください。
記載には注意を払っていますが、誤りにお気づきの際はお問い合わせよりご一報いただけると幸いです。

