M&Aの基礎知識

DCF・マルチプル・純資産法で株価が違う理由――会社全体の価値から株主の価値へ

自社株の算定を依頼したところ、評価書によって違う金額が出てきた。そうしたときに先に確認したいのは、どの評価書が正しいかよりも、それぞれが何のために、何の価値を計算したのかです。会社の売却、後継者への贈与、第三者からの出資では、同じ会社でも検討の出発点が異なります。

既稿のM&Aの企業価値評価に続き、本稿ではDCF法、マルチプル法、純資産法を、数字を使って比較します。以下の数値は説明用の仮定であり、相場や推奨倍率を示すものではありません。

最初に「何の価値か」を揃える

企業価値という言葉は、資料によって意味が違うことがあります。本稿では、営業活動が生み出す価値を「事業価値」、これに余剰現金や遊休不動産などの非事業用資産を足したものを「企業価値」、そこから有利子負債等を差し引いたものを「株式価値」と呼びます。株式価値は、普通株式だけの単純な会社であれば、株主全体に帰属する価値です。

基本形は、事業価値+非事業用資産-有利子負債等=株式価値、となります。実際には少数株主持分、優先株式、退職給付に係る債務などの調整も問題になりますが、ここでは省略します。どの項目を既に事業価値に含めたかを明らかにし、二重に足したり引いたりしないことが大切です。価値の区分は中小企業庁「財務課題解決」にも示されています。

マルチプル法は、似た会社の評価倍率から考える

マルチプル法は、市場で観察できる類似企業の評価倍率を参考にする方法です。EV/EBITDA倍率なら、事業価値とEBITDAの関係を使います。EBITDAは営業利益に減価償却費等を加えて把握する利益指標ですが、設備投資や運転資金の増加をそのまま差し引いた現金収支ではありません。

仮に、調整後の年間EBITDAが8,000万円、採用する倍率が5倍なら、事業価値は4億円です。余剰現金が6,000万円、有利子負債が1億4,000万円なら、株式価値は次のようになります。

計算するもの 計算 金額
事業価値 8,000万円×5倍 4億円
株式価値 4億円+6,000万円-1億4,000万円 3億2,000万円
1株当たり価値 3億2,000万円÷1万株 3万2,000円

自己株式がなく、同じ権利を持つ普通株式が1万株という仮定です。事業価値4億円をそのまま株主の売却代金と読むと、借入金等の調整を見落とします。一方、PERは株式価値と利益の関係を使う指標なので、倍率を掛けた後に同じ借入金を再び差し引くのは適切ではありません。

倍率より先に見るべきなのは、比較する企業の成長率、収益構造、事業規模、顧客の集中、設備投資の負担です。役員報酬や一時的な損益を調整する場合も、買収後に本当に変わる支出なのかを確かめます。売り手に都合のよい費用だけを足し戻すと、比較の根拠が弱くなります。類似企業の選び方や倍率の違いは中小企業庁の解説本文でも扱われています。

ネットキャッシュを使うと、事業価値から株式価値への橋渡しが見える

ネットキャッシュは、一般に現預金等から有利子負債を差し引いた金額です。マイナスなら、現預金等より借入金等が多い「ネットデット」の状態です。ただし、M&Aの評価で足し戻す現金を、帳簿上の現預金の全額とするか、事業を続けるために必要な資金を除いた余剰現金とするかは、事業価値の計算方法と取引条件に合わせて決めます。

本稿の数値例では、余剰現金6,000万円-有利子負債1億4,000万円=マイナス8,000万円を調整額とします。事業価値4億円にこの金額を加えると、株式価値は3億2,000万円です。ネットキャッシュを加えた時点で借入金は控除済みなので、その後に有利子負債をもう一度引きません。

株式価値=事業価値+調整後のネットキャッシュ+その他の非事業用資産

遊休不動産、ゴルフ会員権、事業に必要でないクルマなどは、ネットキャッシュに含めず、その他の非事業用資産として分けて検討します。帳簿価額をそのまま足せるとは限らず、時価、売却費用や税負担、事業価値に既に織り込んでいないかを確認します。有価証券を換金性の高い現金同等物に含める場合も、別の資産として二重加算しないよう区分を揃えます。

DCF法は、将来の現金を現在の価値に直す

DCF法では、将来生み出すフリーキャッシュフローを見積もり、割引率を使って現在価値に換算します。事業価値を計算する場合の基本的なイメージは、税引後の営業利益に減価償却費を加え、設備投資と運転資金の増加を差し引いた資金です。利益が増えていても、大きな設備投資や売掛金の増加が必要なら、使える現金は少なくなります。

説明を簡単にするため、翌年末から毎年3,000万円のフリーキャッシュフローが永続し、成長率は0%、割引率は8%と仮定します。この場合の事業価値は、3,000万円÷8%=3億7,500万円です。先ほどと同じ余剰現金6,000万円と有利子負債1億4,000万円を使えば、株式価値は2億9,500万円、1株当たり2万9,500円になります。

この簡略例は、毎年の資金収支が安定するという強い仮定を置いています。通常のDCFでは数年分を個別に予測し、その後の継続価値を計算します。継続価値も評価時点まで割り引く必要があります。考え方は経済産業省の企業価値評価に関する解説資料で確認できます。

同じ3,000万円でも割引率を10%にすると、事業価値は3億円です。8%の場合との差は7,500万円あります。精密な計算式を使っていても、事業計画、割引率、継続価値の前提が変われば結果は動きます。DCFの金額だけを見るのでなく、主要顧客を失う場合や投資額が増える場合にも、どこまで価値が維持されるかを読みたいところです。

純資産法は、資産と負債から積み上げる

純資産法は、資産と負債の差額を基礎にする方法です。帳簿の数字を使う簿価純資産法と、土地や有価証券などの時価を考慮する時価純資産法を区別します。時価ベースの資産が5億円、負債が2億5,000万円なら、単純な差額は2億5,000万円です。この差額は既に負債を引いた後なので、借入金をもう一度引きません。

資産保有会社では、不動産の含み損益などが価値に大きく影響します。一方、人材、技術、顧客関係から利益を生む会社では、貸借対照表だけでは収益力を十分に表せない場合があります。時価純資産に営業権相当額を加える方法もありますが、どの収益力を何年分加えたかによって結果が変わります。「純資産だから客観的」と決めつけず、資産の時価と簿外債務の調査範囲を確認します。

相続・贈与の税務評価と、そのまま交換できる数字ではない

相続税・贈与税の取引相場のない株式の評価では、財産評価基本通達に基づき、会社規模や株主の立場などに応じて、類似業種比準方式、純資産価額方式、配当還元方式などを使います。特定の評価会社には別の取扱いがあります。国税庁「取引相場のない株式の評価」がその概要です。

ここでいう類似業種比準方式は、M&AのEV/EBITDA倍率と同じ計算ではありません。また、相続税評価額で親族や自社に株式を売れば、所得税・法人税上も常に問題がないという意味にはなりません。売買の相手、取引条件、税目に応じた時価の検討が必要です。

評価書を比較するときは、評価日、対象株式の権利、持分割合、評価目的をまず揃えます。そのうえで、事業計画と比較企業、現金・借入金の調整を確認します。複数手法の結果を単純平均すれば正しい価値になるわけではありません。金額が違う理由を説明できることが、売却交渉にも、事業承継の準備にも役立ちます。

本稿は2026年9月20日時点の法令に基づく一般的な解説です。実行の前に必ず個別にご相談ください。

記載には注意を払っていますが、誤りにお気づきの際はお問い合わせよりご一報いただけると幸いです。

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